平成28年度 第3回七戸ウオーキングクラブ例会
「十和田市・稲生川せせらぎコース」 2016.6.19(日)
不毛の大地「三本木原台地」を都市へと変貌させた水路の開拓事業に着手(1855年)したのが、五千円札の肖像・新渡戸稲造の祖父で、南部盛岡藩士・開拓の祖 新渡戸傳(にとべつとう)と長男 十次郎(稲造の父)、孫 七郎である。
傳は、農民たちの生活を救うために、4年もの歳月をかけて不毛の荒野に、奥入瀬川から水を引くことに成功し、この水路の完成により1860年秋、この地にはじめて米の収穫がもたされました。これを視察した時の盛岡藩主・利剛(としひさ)公は、水路の川を「稲生川」と命名された。
現在の十和田市は水田を潤すとともに、京都の市街を模した近代都市となり、稲生川も憩いの水辺として多くの市民に親しまれています。ボランティア団体によって、「稲生川ウオーキングマップ」も作成され、三本木開拓ゆかりを5コースに分けて紹介しています。
(七戸ウオーキングクラブ 倉本記)
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